海を失った男


海を失った男 (河出文庫)

海を失った男 (河出文庫)


いわずとしれたスタージョンの短編集。一見なんだかよくわからないけど、強烈な魅力を放つ表題作をはじめとして全八編ほとんど外れなしで楽しめる短編集を読む楽しさを感じさせてくれる一冊。

私的には「手」に恋した男の異形の愛情を描いた「ビアンカの手」がベスト。単にフェティシズムという言葉に落とすことが、罪悪に思えるほどに、どこか美しささえたたえた「手」への愛情が、重ねられた襞のような分厚く、それでいて柔らかさを感じさせる文章に乗せて語られる。我々読者はその文章の襞の中に飲み込まれるように、溺れるようにしながら最後のカタルシス=破滅へと一気に疾走していくのだ。

さて、スタージョンのメインテーマとされており、本短編集でも多くの作品で主題となっている「愛」や「コミュニケーション」である。そのある種陳腐とも言えるテーマが、圧倒的に魅力的に感じられるのは、もちろん各短編のアイデアや場面設定の上手さもあるにしろ。この読者の精神を言語の襞に取り込み、その中で迷わせるような描写/文体が、人と人の関係性である「愛」を描き出しているからと言えるのかもしれない。「愛」という言葉に不可避に潜んでいる複雑さ、それは結局のところ愛というものが一者の中のみでは完結し得ず、他者との交換の間にしか存在し得ないということ。その関係性の微妙さ、複雑さ、不可思議さの表現。それは単純な簡潔な言葉ではなく、時間、感情、思考、それらが多層の襞のように重なるところに生起するのかもしれない。

と、なんだかよくわからなくなってきた。やはりこの諸作品の魅力を語るときには

「先生、この短編、さっぱり何が書いてあるのかわかりませんけど、でも凄い!」(p.465)

この名無しの京大生の一言に勝るものはないのかもしれないと、自身の言葉の無意味な折り重なりを感じては、思うのでした。