切れた鎖


切れた鎖

切れた鎖

mixiに投稿したものの改稿版です


芥川賞候補作となった表題作「切れた鎖」
川端賞受賞作となった「蛹」
そこに「不意の償い」を加え三島賞を受賞した本作品集。

暴走する罪の意識と不安定な心性を、強烈な一人称文体で描いた「不意の償い」。
意識を持つカブトムシの幼虫というなかなかふざけた設定ながら、極めてまっとうな「蛹」も良作でしたが、私的に最も印象深かったのは表題作の「切れた鎖」


さびれた海峡の町の旧家桜井家の梅代。出戻ってきた娘と、幼稚園児の孫娘の三人で暮らしている彼女、そして彼女の母は、屋敷の裏にある在日朝鮮人の教会とその住人に激しい憎悪を抱いている……。

実際取り立てて、大きな事件が起きるわけではありません。旧家の遺産によって生活には困らない梅代が、出戻った娘がちゃんと世話をしない孫娘に食事を作り幼稚園に送り迎えし、ファミレスに一緒に行くだけ。出来事といえばその程度です。

その静的な日常の中で、孫娘との対話の中で、梅代の思念は四代にわたる女達の歴史を。自らの母について、自らの娘について、自らの夫について、そして裏の教会について、その憎悪と絶望の歴史を回想し考察していきます。

その梅子の一人称を紡ぐのが硬く途切れのない文体。ある時には読点によって、どこまでも続き。時に句点で短く切れたとしても、そこには切れ目がない、そう感じられます。どこかで繋がっているようだと、しかしそれは、「ねばりつく」」「粘着質」という言葉と言葉が柔らかに繋がっているという印象ではなく、まるで言葉と言葉の間に不可視の「鎖」があるような……。

ある時そのその言葉の連鎖によって紡がれた日常に起きる一瞬の緊張が発生します。まさに作品のクライマックスの場面。
裏の教会の住人との接触によって、過去現在未来へと永劫に続くかと思われた梅代の思念の鎖は破断し、そして新たな、よりグロテスクな形で再結合します。その一瞬がもたらすカタルシス、絶望感、そこには書くものと書き方が一致した小説の快楽があるように思いました。