アッシュベイビー AMEBIC


アッシュベイビー (集英社文庫)

アッシュベイビー (集英社文庫)

AMEBIC (集英社文庫)

AMEBIC (集英社文庫)

金原ひとみの作品は今回が初読でしたが、とても面白く読めました。

以下はその印象

両作品は、主人公の女性の自らの身体をめぐる物語のように感じられました。

アッシュベイビーの主人公アヤはどこまでもヤリマンで作中のすべてにセックスがあふれる。
AMEBICの主人公<私>は食べることを嫌悪し飲み物とサプリと漬け物しか口にしない女性によって、逆説的に食事があふれる。
セックス・食事共に身体と不可分に結びついた行為であり、身体をもってこの世界で生きることそのものであるともいえる。
ともに身体が外部とつながる行為でもあるといえるのかもしれない。セックスは他者と、食事は世界と。それぞれ異物を身体に取り込み自らの一部を異化/生かしていく行為だ。
そして、アッシュベイビーでは村瀬という空虚のメタファーのような男に惚れて結婚までしてしまった主人公は、その空虚に取り込まれるように、セックスに意味を失っていき、ペドフィリアのルームメイトがさらってきた生後間もない女児と同化していく。
AMEBICでは主人公は決して食べることないお菓子を作り続け、それを棄て続ける。
それはまるで彼女らの身体が、統一体から切り離され、裁断され、そして灰となって消えていくようにも見える。

そうして作品の中には、言葉があふれ出す。その身体が無くなった空隙を埋めるために、圧倒的に饒舌であろうとしているように。
AMEBICでは主人公が半ば無意識のうちに書き散らす「錯文」が彼女を包囲していく。
またアッシュベイビーでも、主人公は自らのセックスについて、身体について、傷について不必要なほどの言葉を生み出していく。
そして作品の中にはいつしか身体が無くなり、饒舌な言葉の海だけが残っていく。
だがそれこそが、身体を何よりも強く表現しているように私には思えたのだった。消滅するような名づけがたい身体の死を通して何よりも強く身体をもつことのきしみを叫んでいるように。