ナペルス枢機卿

G・マイリンク『ナペルス枢機卿国書刊行会


アマゾンにも楽天にもないとは…… さすがバベルの図書館(笑)


ボルヘス編纂のバベルの図書館の一冊で、1868年生まれのオーストリア幻想文学者(ファンタジー作家)マイリンクによる三編。

なぞめいた墓碑銘から始まり、不死者と死をめぐる狂気じみた幻想へと至る。そしてなによりタイトルがすてきな
「J・H・オーベライト、時間―蛭を訪ねる」

トリカブトに託された光景が鮮やかな
「ナペルス枢機卿

月の満ち欠け、世界の運命、記憶・叙述の混交(?)がファンタジー以外では表現しえない一瞬を生み出す
「月の四兄弟」

そしてこの三編はどれも、異なった形で「不死」と「永遠」を描き出し、それによって逆説的に「死」というものの恐怖。「時」というものの無情を強烈に描き出しているように思えます。
それは、語り手が死すべき人間である。もしくはそれに近い立場であるから、というのはもちろんのこと。それ以上に作品全体につきまとう、亡びの空気。不死者という存在をも飲み込む虚無が
そう感じさせているのかもしれません。

……私たちはごく若いときから」、と私は感じた「死の床の上がけにせわしなく指をさまよわせる瀕死の人間のようだった。何をつかんだらいいのか分からない。死神が
部屋のなかにいる、手を合わせようが、拳を固めようが、いずれにせよ何の関係もない。そうさとってしまった瀕死の人間ども」
(「ナペルス枢機卿」p. 42)


ここには、死と世界の膨大な虚無を前にした絶望的な認識があります。


だが、これら生者たちを不死の高みからあざ笑うべき不使者たち(月の四兄弟)も同様に、1914年の春に

「死ですら捕まえることのできない、何か予測のしようのないものがむくむくふくれあがって、それに較べれば海などバケツ一杯の水にすぎぬような大河と化してしまう、そんな気配を皆さんも感じておいでなのではありますまいか?
(「月の四兄弟」p. 95)


と、死を越えた虚無を、名状しがたいなにかを語っています。


それは、もしかすると、1914年を境にして、死と不死者が共存できた、神秘が生きることができた、世界が、機械と計数された死とも呼べない滅びによって塗りつぶされようとしているという、
予感だったのかもしれません。


だとするとここには、ある時代の死と、次代に待ち受けるの虚無があふれかえっているのでしょう。