ヘルシング(9)
- 作者: 平野耕太
- 出版社/メーカー: 少年画報社
- 発売日: 2007/11/09
- メディア: コミック
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狂気の吸血鬼マンガも完結間近となってきました。本作のおもしろさなんて今更ですが、つらつらと指のおもむくままに語ってみます。
ロンドンでのアンデルセン神父との死闘の決着。そしてウォルターの裏切りを通して改めて見えてきたのが、この物語は吸血鬼という「不死の怪物」と「人間」の物語であるということです。
神父や執事のように、アーカドに対し自らも怪物となることで挑む。人間を捨てた人間をアーカドは否定し、うち捨て、蹂躙する。
でももう もはやだめだ おまえにわたしは たおせない
化物をたおすのは いつだって人間だ 人間でなくては いけないのだ!!
それは、かつて人間であった彼が人間に殺されることで、「人間として死ぬ」ことを求めているように思えます。
しかし、彼の宿敵たちは、怪物へ変わっていく。それはアーカドの吸血鬼のもつ力に見せられ飲み込まれているようで、「深淵を覗き込むものは、注意せねばならない。 汝が深淵を覗き込むとき、深淵もまた汝を覗き込むのだから」という有名すぎる一節をどこか思い起こさせます。
そして最後に残った少佐。
私には何もない なぜなら私は人間だからだ
と、語る彼こそが、アーカドを殺すことができるのか。
それとも、セラス。最後まで人間であり続けようとしながら、吸血鬼となりアーカドの深淵を覗き込んだ婦警が、アーカドを救うのか。でも、個人的にはマスターであり、ただ一人の真の「人間」であるインテグラこそが、彼を殺し救うことができるのではないかと一読した今は思ったりもします。
まあ、ここまで来たらぐだぐだ言わずに続きを刮目し、じれながら待つのみですね……
それにしても、このマンガは名台詞の宝庫です。簡単な印象論ですが、そこには演劇の独白や長台詞に似た、一人で語っている、誰かに語っている言葉でありながら、さらに広い対象に、むけて語っているそんなところがあるような気がします。
実際、少佐の有名な「諸君私は」の演説にはハムレットの一節が引用されているわけですし(「天と地の間には〜」のところ)
それにしても平野耕太の読書遍歴は気になるところです、現在進行形の特濃のオタクであることは明確ですが、上記の例を見ても、実際相当の読書家にも思えるのですねえ。